週刊GIGマガジン

2016年09月号 vol.24

「恋する御朱印」

2016年09月14日 00:03 by kisaragi_rin
2016年09月14日 00:03 by kisaragi_rin

 みなさま、ご機嫌よう。如月凛です。どうぞゆっくり読んでってください。ほっこりお茶でも飲みながら。

 すっかり御朱印の魅力にとりつかれている私。でも、御朱印がいただけないところもあるんですよ。せっかく御朱印をいただくことが目的で行ったのに、残念な思いをしないために少しだけ注意することを記しておきますね。

 寺社の方のご都合により、御朱印をしておられないところも中にはあります。また、浄土真宗の寺院では、基本的に御朱印をされていません。同様に、お守りやお礼、おみくじも出しておられません。でも、浄土真宗の寺院でも参拝記念という形御朱印に相当するものを提供されている寺院もあります。さまざまな事情があるので、御朱印がムリだった場合はす~っと退きましょう。事前に調べておくといいですね。

 たまたま訪問したときに、御朱印を書いてくださる方が席を外している場合もあります。そんなときは、お戻りになるのを待つか「書き置き」がないか訪ねてみてください。「書き置き」とは紙に御朱印が書かれてあります。それをいただいて、御朱印帳に貼ると良いでしょう。

 さて、今回ご紹介する御朱印は赤穂大石神社です。

 鳥居から山門まで四十七義士の赤穂浪士の像が並んでいます。まさに忠臣蔵の世界です。四十七義士の石像が立ち並ぶ様は圧巻です。そもそも忠臣蔵って何?と、思う方がいらっしゃるかもしれません。元禄14年(1701)春3月、江戸城中松の廊下で、勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、指南役の当家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶという一大事件が起こりました。長矩は将軍綱吉の独裁をもって即日切腹、浅野家は取り潰しとなりました。これが第一の事件です。

 そして、元禄15年(1702)12月14日の夜、長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七義士が吉良屋敷に討入り見事主君の怨みを晴らし幕府の失政に一矢を酬いる事件が起こりました。その2ヵ月後の2月4日義士達は武士の最高の名誉である切腹という処分をうけることにより劇的な終焉を遂げました。これが第二の事件で、この2つの事件を合わせたものが「忠臣蔵」です。

 えぇ、御朱印をいただくっていうだけで、歴史まで調べてしまうのですよ。もうすぐ私も歴女!ホ~っホホ(´∀`)

  境内には浅野家時代より藩民の崇敬を受けた古社があります。赤穂築城の軍師であり義士に兵学を教授した山鹿素行命(やまがそこうのみこと)を祀る山鹿社、学問書道上達の神天満宮、塩田の守護神である八田社、その他恵比寿社、国助稲荷、淡島社、忠魂社の七社が、境内社合祀殿として、一ヶ所に合祀されています。また大石邸庭園には、大石稲荷社が鎮座しています。触ると子宝に恵まれると言われている子宝陰陽も大石邸庭園にあります。

 大石神社は明治天皇の宣旨を契機として明治33年神社創立が公許せられ、大正元年11月、四十七義士命を祀る神社としてご鎮座になりました。ご祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀してあります。

 大石神社の御朱印を写真で見てください。右上には「大願成就」に印。赤穂浪士の大義を果たしたからこその大願成就。見てるだけで胸が熱くなります。左側の日付が歪んでるところはご愛嬌ってところですかね。書く人が少々未熟なところもまだまだ歴史が浅い感じがします。

 集めて、眺めて、もう1度歴史を振り返りたくなりますね。

 如月凛


 


関連記事

愛と笑いをお届けする歌姫・あきの幸せになる50の方法〜その40

2017年05月号 vol.50

打ち上げでした♪

2017年04月号 vol.49

愛と笑いをお届けする歌姫・あきの幸せになる50の方法〜その39

2017年04月号 vol.49

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2017年05月号 vol.50

今回はかなり発行に時間がかかっていましました。 新たなプロジェクトが着々と進行…

2017年04月号 vol.49

間もなくGWですね! みなさんのご予定はいかがですか? fmGIGはいつも通り…

2017年04月号 vol.48

京都の桜は満開を過ぎ、散りつつあります。 今年も綺麗な桜が見られて幸せな気持ち…