皆様、こんにちは。もう6月になりました。場所によっては夏日のところもありますね。暑さに対処できるようにしっかり体調を整えましょう。
前回、サッカーの概要についてお話しました。今回は、日本のサッカーとオリンピックについての関係をお届けします。日本サッカーとオリンピックと聞いて、近年では女子のなでしこジャパンが、2012年ロンドン五輪で銀メダル獲得を思いつく方が多いと思います。オールドファンであれば1968年のメキシコ五輪で男子が銅メダル獲得を思い出すでしょう。しかし、メダル獲得以外でも日本サッカーを大きく動かす出来事がありました。”マイアミの軌跡”と言われた、1996年アトランタ五輪の男子サッカーですね。
この時の日本代表メンバーは前園キャプテンを中心に、GK川口、DF松田、MF中田、FW城と当時の23歳未満のメンバーとしては豪華メンバーでした。ちなみに23歳以上の選手を登録できるオーバーエージ枠は、当時の西野監督の意向で使用されることはありませんでした。ブラジル代表はスーパースター軍団が揃いました。マリオ・ザガロ監督が指揮官、リバウド、ロベルト・カルロス、ベベット、ゼ・マリア、そしてロナウジーニョ。名前を書いただけでも身震いしてしまうメンバーですので、日本は良くても引き分けではないかというのが大方の予想でした。試合展開も日本が常に守備的なフォーメーションを敷いていたこともあり、ブラジルはシュートの雨を降らせても得点できない時間が続きました。そして運命の後半27分、ブラジルゴール前に、ロングボールを放り込んだ日本は、そのこぼれ球に伊東が反応し、ゴールマウスに押し込みました。日本はこの1点を守り切り、"マイアミの軌跡”はこうして起こったのでした。
この勝利は、当時の日本のマスコミで大々的に取り上げられました。日本サッカーの歴史を動かした瞬間でした。この時の日本代表メンバーは、その後のワールドカップ、Jリーグで中心的な役割を果たしたのは言うまでもないでしょう。日本代表は、ブラジル戦勝利の後、ナイジェリアに敗れ、ハンガリーに勝利したものの、得失点差で決勝トーナメントには進めませんでした。日本に敗れたブラジルは、ポルトガルを下して3位に。日本と同じグループのナイジェリアが金メダルを獲得しました。他のグループで日本が迎えていたら、もしかしたらもっと上に行けたかもしれませんね。結果論ですが・・・。
ということで、今回はマイアミの軌跡を中心にお届けしました。競技として発展するときは、必ず奇跡も起こるものということを執筆して実感しました。次週もサッカーにまつわるお話をしていきたいと思います。
マンティー・チダ
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