愛想笑いに疲れた私は、友達を作るのをやめた。昼休みにお弁当を食べるのに困らない程度の友達がいる程度だった。特に勉強を頑張っていたわけでもないが、偏差値が低い高校だったのもあって成績は「上の下(じょうのげ)」といったとろだった。そのせいか、高校時代の記憶はほぼないし、写真もない。卒業アルバムで自分のクラスが写っている体育祭の写真にさえ私の姿はない。自分でもどこにいたのだろう?と不思議に思うのだが、異常なまでに高校時代のクラスメイトと同じフレームに収まるのを嫌っていた。別にいじめにあっていたわけでもないし、無視されたりもしていなかったのだけれど、そのあたりの記憶がスコンと抜け落ちている。人間に対しての考え方が歪んでいったのは、このころからだっただろうか。
もちろん、大学へ進学もしたし、上場企業へ就職もした。結婚もして子供も育てている。結婚は、失敗したけれど。それでも、端から見れば、普通の人生を歩んでいると思う。
そして、この愛想笑いは、この後も30才を過ぎてある人に出会うまでは、当たり前のこととして自分の身に染み付いていた。その出会いについては後述するとして、この愛想笑いが壁となって私は自分の殻に閉じこもるようになる。一見、明るくて楽しい女性のように言われていたが、誰にも心は開いてなかった。その代わり相手の心は手に取るようにわかった。下心や打算には特に敏感で、うんざりすることも多かった。
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