週刊GIGマガジン

2016年08月号 vol.21

「ほっこりお茶でもどーどすか?」

2016年08月24日 22:45 by kisaragi_rin
2016年08月24日 22:45 by kisaragi_rin

 みなさま、ご機嫌よう。如月凛です。どうぞゆっくり読んでってください。ほっこりお茶でも飲みながら。

  ここ数週間は私のfmGIGの番組「お昼にほっこりどーどすか」でご紹介していた「「コトバサプリ」のコーナーをご紹介させていただいておりました。が、ネタも尽きてまいりました。今回は、コラムです。がっつり書きました。長いです。

 「ありがとうとさみしさ」子供の頃に「ありがとうを言いましょう」と教わってきました。親や先生、見知らぬ大人にも。

 たとえば大人からお菓子をもらったときに、よく大人から「ありがとうは?」と促されては、頭をペコリと下げて「ありがとー!」と大きな声で言っていました。そうやって大きな声でありがとうを言うと、大人は決まって、喜んでくれるし、褒めてくれるから、ありがとうっていう言葉を深く考えずに、自然に言葉にできるようになっていました。それは伝えるというよりは、ただ声に出すという感覚に近いものでした。

 でも、自分が大人になってから考え直してみると、なぜ「ありがとう」を言わなければならないのかは、しっかりと教えられた記憶がありません。ただ社会の常識という認識しか持てていませんでした。なので、「ありがとう」を”言わなければいけない”とどこか強制的に、機械的に、言葉を発していることも多く、相手に届いているかどうかなど、考えたこともありませんでした。だから、自分が言葉を受け取る側に立ったとき、ありがとうの言葉を目にしたり耳にしたりするたびに、本当は喜ぶべきシチュエーションのはずなのに、私はときどき、さみしくなってしまうのでした。

 もちろん言われないよりは、嬉しいはずですし、社会のマナーや常識でもありますから、いいことのはずなんです。ですが、せっかく相手が自分に向けてくれていたメールの署名にくっついている「定型ありがとう」も、ンビニ店員さんから言われる「機械的ありがとう」も、どこか暗号のように感じて、言葉以上の気持ちを受け止めようとせず、そこには何もないかのように、受け流してしまっていたのです。

 そうして、それらの「ありがとう」を受け取れないから、ありがとうの言葉に出会うたびに、ちょっとだけ、なんともいえないさみしさが込み上げたのでした。自分が鈍感だから、相手からの感謝の気持ちをうまくキャッチできないだけなのかもしれません。でも、やっぱり、さみしさが顔を出します。自分に対して言ってくれているはずなのに、自分に対してじゃないかのように錯覚してしまうのです。自分に向いて伝えてくれているはずの言葉が、ソッポ向きながら伝えられた言葉のように聞こえてしまうのです。その出来事をつうじて、自分自身を改めようと気づきました。せめて自分が相手に対して感謝のきもちを伝えたいときには、条件反射的な言葉ではなくて、自分の言葉で、自分の感謝を伝えたい。そうすることによって、相手への大切な想いを届けて、自分自身にも、「ありがたい」キモチを感じさせてあげたいから。

  年齢を重ねて大人になって、いろんな経験をつんでいくと、いつの間にか、本来は「ありがたいモノゴト」の多くを、「あたりまえのモノゴト」だと錯覚してしまって、自分の身のまわりの感謝できるチャンスを見逃していました。ほんとうに心を込めてありがとうを伝えられたら、きっと相手は自然に喜んでくれる(少なくともイヤな気はしない)。そして、言われる側だけではなくて、伝える側である本人も喜んでいる気がしたのです。

 ありがとうという言葉は、実は「愛情探知機」みたいなもので、自分自身が愛されている、その人から大切にされていることを、自分で確認できる言葉ではないかと思うんです。ただ義務的に「言わされてる」感じになってしまうと、残念ながら愛されてる感覚を味わいにくくなるものです。ほんのちょっとしたことからでも、心で感じた恩恵には「本当にありがとう」って、言葉に出してみることで、それは「わたしは大切にされている」という愛情を自分自身で再確認する言葉にもなっていくのです。

 ありがとうっていう言葉は、心に訪れた感謝を伝える言葉です。せっかくのチャンスであるはずなのに、受け取り手に感謝の気持ちが届かないのは、とてもとても、さみしいことです。あれこれしてほしいことをしてくれないことに嘆くよりも、今してもらっている小さな愛情をみつけて、それにめいっぱい感謝をする、そして思いを込めた言葉にする。そうするたびに私たちは「愛されている」自分を実感できるはずです。本当に愛されている自分をみつけるために、本当に愛されている自分でいつづけるために、本当にありがたい気持ちを言葉にしたい。

  感謝を見逃してしまうかと心配しなくても大丈夫。感謝を言葉にできないんじゃないかと不安がらなくても大丈夫。子供のころは、あんなに自然に言えたんですもの。ただただ、肩の力を抜いて素直なキモチになって、そして相手を自分と同じように大切な一人の人間だと理解して、心の声に耳を傾けてみるだけでいいはずです。愛されている証として、もちろん愛している証として、あなたの心に大切で特別な「ありがとう」が、いくつもいくつも、生まれてくるはずですから。

如月凛


 

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